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福島地方裁判所 昭和43年(ワ)168号 判決

原告

渡辺伊勢次郎

ほか一名

被告

日本国有鉄道

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一、当事者の申立

原告訴訟代理人は、「被告は、原告に対し、金六、〇八〇、〇〇〇円を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求めた。

第二、請求の原因

一、原告らの三男渡辺三次(以下「三次」という)は、昭和四〇年五月一二日現在、日本大学附属東北工業高等学校二年在学中で、毎日東北本線日和田駅から安積永盛駅までの区間汽車通学をしていた。

二、三次は、前同日午前七時四〇分ごろ、日和田駅から福島発上野行第一二四普通列車(以下「本件列車」という)に乗車しようとしたところ、本件列車は車内が超満員で大混雑していたが、駅員にせきたてられ、やむを得ず学友数名とともに乗車口踏段に乗車したものの、ドアが閉められない状態であつたので握棒につかまつていた。ところが、同列車が同駅を発車して間もない午前七時四五分ごろ、福島県郡山市富久山町久保田字我妻地内の東京起点二二八・七五キロメートルの地点で、三次は架線支区間標識(以下「標識」という)柱に衝突して線路上に転落し、頭蓋骨挫砕傷の傷害により即死した。

三、本件事故は、被告の過失によつて生じたものである。すなわち、右のように列車が超満員で乗降口のドアが閉められないほど危険な情況にある場合、被告としては乗客の安全をはかるため、車掌および駅員をして適当な措置を講じさせ、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り何ら危険防止の措置を講ずることなく、右列車を発車させたのは被告の過失である。

四、本件事故により原告らは次の損害を被つた。

1  三次の得べかりし利益の喪失による損害

三次は、死亡当時一六年であり、高校卒業後満二〇年から満六〇年まで就労可能であつたから、四〇年間の得べかりし収入は金一、五八一、九一二円となるが、原告らは三次の父母として三次の損害賠償請求権を相続したので、右損害のうち金一、五八〇、〇〇〇円を請求し、その余の損害賠償請求権を放棄する。

2  原告らは、肩書地で農業を営んでいるものであるが、三次が高校卒業後国家産業に貢献すること大であり、同人に対する原告らの期待も甚大であつたところ、三次の死亡により原告らの失意落胆は計り知れないものがあり、原告らの精神的苦痛を慰謝するには各金二、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。

3  三次の死亡により直接要した損害は金五〇〇、〇〇〇円である。よつて、原告らは、被告に対し、金六、〇八〇、〇〇〇円の支払いを求める。

第三、被告の答弁

一、請求原因第一項の事実を認める。

二、同第二項の事実中、三次が本件列車に乗車したこと、原告主張の標識柱に衝突して転落し、頭蓋骨挫砕傷の傷害により即死したことを認め、その余を否認する。本件列車は混雑していなかつた。すなわち、同列車は、郵便車一両と客車一一両を連結していたので、その座席定数は九五二であつた。汽車の場合満員とは、乗車客が座席数の三倍ぐらいに達したときのことをいうのであるが、同列車が五百川駅を発車するときの乗客数は一、一五〇名で定数の一二〇パーセントにすぎず、さらに日和田駅で約四五〇名乗車したので同駅発車時の乗客数は約一、六〇〇名に達したが、それでも定数の一六八パーセントであつて、それほど混雑していなかつた。

三、同第三項の事実は否認する。すなわち、

1  本件列車が日和田駅を発車する際、当務駅長佐久間富男ほか四名の駅員が出場し、当務駅長は第八号車に位置し、前方第二号車から第七号車までに三名の駅員を、後方第一〇号車から第一二号車までに一名の駅員を配置して乗客の誘導案内に努めた。このほか、後部には車掌がおり、駅員および車掌は、踏段に乗車している者、車外に身体を乗り出している者などいないことを確認して当務駅長に発車の合図を送り、当務駅長自身も列車全部の安全を確認したうえ発車させたものである。なお、車掌は、発車後直ちに車内放送で、「乗車口のお客さんは車内に入つて下さい。」と放送した。

2  三次が衝突した標識の建植にも何ら瑕疵がない。標識は、運転取扱基準規程第四四四条および運転保安設備基準規程第一六〇条により架空電車線路の交流加圧間の接続箇所に設置されているが、その位置は、日本国有鉄道建設規程第一七条、第一八条により線路中心から一・九〇メートル外方に設置し、しかも同規程第五六条には車両限界の幅員は線路中心から一・六〇メートル以内と規定されているから、標識と車両との間には〇・三〇メートルの間隔を設けなければならない。

本件標識は、線路中心から二・〇〇メートル外方に設置してあり、また、本件列車の幅員は二・八〇五メートルであつて、線路中心からの幅員は一・四〇二五メートルであるから、標識柱と車両との間に〇・五九七五メートルの間隔がある。しかも車両の踏段は車両外側より内側になつているので何ら危険はなく、通常の姿勢であれば絶対に衝突することはありえない。

3  本件事故は、三次の重大な過失によつて発生したものである。三次は、中学時代の同級生佐藤秀男、渡辺文雄、熊田公位の三名とともに本件列車に乗車したが、渡辺文雄は第九号車後方寄り乗降口に、熊田公位、三次および佐藤秀男は第一〇号車前方寄りの乗降口にそれぞれ乗車した。日和田駅発車時、第一〇号車の座席は全部乗客が座つており、立つていた乗客は車内に一二、三名、乗降口に三、四名がいた程度であつた。しかも発車する際には、踏段にいる者、車外に身体を乗り出している者などいないことを確認しているので、発車後、佐藤秀男と三次が踏段に出て、三次がいたずら半分に極度に身体を車外に乗り出したため標識柱に衝突し、本件事故が発生したものである。

四、第四項の事実中、三次が死亡当時一六年であることを認め、その余は知らない。

第四、証拠関係〔略〕

理由

一、原告らの三男三次は、昭和四〇年五月一二日現在、日本大学附属東北工業高等学校二年在学中で、毎日日和田駅から安積永盛駅までの区間汽車通学をしていたこと、前同日午前七時四〇分ごろ、日和田駅から本件列車に乗車し、発車して間もない午前七時四五分ごろ、福島県郡山市富久山町久保田字我妻地内の東京起点二二八・七五キロの地点で標識柱に衝突し、頭蓋骨挫砕傷の傷害により即死したことについて当事者間に争いがない。

二、そこで、本件事故について被告の過失の有無について判断する。

1  〔証拠略〕中には、本件事故当日、日和田駅における本件列車の混雑状況は、いつも割合い空いている後部第一〇ないし第一二号車も団体旅行客が乗つていたためものすごく混み、駅員から「乗れ、乗れ」とせきたてられ、辛うじて乗降口の踏段に乗つたものの、その付近には一〇名ぐらいの乗客がいて車内に入れないほどであり、三次と佐藤秀男は、第一〇号車前方の乗降口の踏段に乗り、とくに三次は乗降口にある握棒の一本に両手でつかまりぶらさがるようにしていたので、身体が車外にはみ出たままの状態で発車した旨の供述部分があるけれども、右供述部分は後記の2の認定事実に照らすとたやすく措信することができず、〔証拠略〕には、右供述部分と同趣旨の記載があるが、しかし、これも原告伊勢次郎本人尋問の結果以上にその証拠価値を見い出すことはできない。

2  〔証拠略〕を総合すると、次の事実を認めることができ、他にこれをくつがえすに足りる証拠はない。

本件列車は、郵便車一両(第一号車)と客車一一両(第二ないし第一二号車)で編成され、その座席定数は九五二名分ある上り第一二四普通列車である。同列車の平日における日和田駅発車時の乗客数はおおむね一、四五〇名前後であり、昭和四〇年五月中における最多乗客数は二、四五〇名であり、同月一二日には、松川駅から約一五〇名の女子高校生旅行客が第一一、一二号車に乗車したので、日和田駅発車時には約一、六〇〇名の乗客があつた。なお同月の平日における日和田駅発車時の乗客平均数は約一、七〇〇名であつた。同列車が定時に運行されると、日和田駅着は午前七時三八分で、停車時間はわずか三〇秒となつているが、同時刻ごろの上り通勤通学列車が右第一二四列車だけであるのに対し、日和田駅で乗車する者は毎日四〇〇名ないし四五〇名ぐらいいるのでいつも混雑し、ことに第二、三号車および第一〇ないし第一二号車を除いた車両は、その郡山駅における停車位置が同列車の郡山駅の到着ホームの一個所にのみ存在する地下道階段口に接近している関係もあつて非常に混み、同列車到着後発車するまでに四、五分の停車時間を要していた。また、同列車に乗車する高校生の乗車態度は極めて悪く、車内が空いていても中に入ろうとせず、乗降口付近にたむろしているのが常であつた。そこで、日和田駅では、右第一二四列車の延発を防ぎ、あわせて乗客の安全を確保するため、昭和四〇年五月一日ごろ、「列車通勤通学の皆様へ」と題するパンフレット(乙第三号証)を印刷して同列車の利用者に配布し、その協力方を求める一方、毎朝当務駅長および駅員四名を出場させ、これに車掌も加わり、比較的空いている前部および後部の車両に乗客を誘導し、あるいは乗降口に乗つている者に対し車内に入るよう呼びかけるなどして列車が安全に運転することができることを確認してから発車させ、乗客の安全確保に努力していた。そして、本件事故当日も右と同様の方法を講じ、まず当務駅長は第八号車付近に位置し、第二号車から第七号車付近まで駅員三名を、第一〇号車付近に駅員一名を配置して乗客を誘導案内し、なお、発車する際には各車両の扉は閉めなかつたが、乗降口から車外に身体を乗り出している者がいないことを確認してから本件列車を発車させた。三次らが乗つた第一〇号車の乗降口付近には四、五名の乗客がおり、車内に立つていた者は一二、三名だけでそれほど混雑していなかつた。それにもかかわらず、三次とその友人数名は、発車後車内に入ろうとせず、渡辺文雄は第九号車後部左側の乗降口に立ち、佐藤秀男および三次は第一〇号車前部左側乗降口の下の踏段に立ち、しかも右佐藤は進行方向を向き、三次は進行反対方向を向き、互いに背中合せになり、それぞれ一本の握棒を両手でつかみ、身体の一部が車外に出るようにして立つていた。事故現場は、いわゆるロングレールを用いた継ぎ目の少ない線路で、しかも直線コースであるので殆んど振動することはない。

3  〔証拠略〕によれば、被告は、日本国有鉄道建設規程を制定し、その第一七条、第一八条には、標識は線路中心から一・九〇メートル以上外方に設置しなければならない旨、また、第五六条には、車両限界は線路中心から一・六〇メートル以内でなければならない旨、それぞれ規定している。したがつて、車両の外側と標識との間には〇・三〇メートル以上の間隔をおかなければならない。

ところで、〔証拠略〕によると、標識柱は、車両の外側から〇・五九七五メートルの地点に、乗降口の握棒から〇・五七〇〇メートルの地点に設置されていること、標識柱と車両の外側との間が〇・五七〇〇メートルの間隔がある場合、乗降口の下の踏段に立ち、握棒につかまつて身体を車外に乗り出しても、腕を極度に伸ばさない限り標識柱に接触することはないことが認められ、他にこれを左右するに足りる証拠はない。そして、現に佐藤秀男が、三次よりも進行方向前方で同人とほぼ同様の姿勢で立つていたことは前示のとおりであるが、それでも佐藤秀男は標識柱に全然接触していないのである。

三、以上前記二、2 3で認定した事実によれば、本件列車はかなり混雑してはいたが、とくに第一〇号車は踏段に乗らなければ乗車することができない程の混雑ではなく、日和田駅当務駅長は、本件列車を発車させるに際し、各車両の扉こそ閉めなかつたが、乗客の取扱いには十分注意し、危険のないことを確認して発車させたものであつて、危険防止につき業務上の注意義務を尽したものと評価することができ、また、標識の設置された地点においては、乗客が、かりに乗降口踏段に立つたとしても、握棒につかまつて極度に腕を伸ばすなど異常な姿勢をとらないかぎり標識柱に接触することはまずありえないのであるから、被告としては、前示の三次のように無謀な方法で乗車する者がいることまで予見して標識を設置すべき義務はないものといわなければならない。本件事故は、いずれの点からみても被告の過失を認定することができない。

四、以上のとおりその余の点に判断を加えるまでもなく、原告らの本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 丹野達 佐藤貞二 新田誠志)

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